三一教の転蔵(2001年の映像)


経師による破獄科儀

経師による破獄科儀

 転蔵とは
 転蔵または塔懺は福建省の莆田、仙游地区の祭儀では今日なお、しばしばみられる。それは仏教儀式のひとつであるが、道教の功徳(超度儀礼)でもやる。また儒仏道を合わせた三一教でもこれをする。
 転蔵は「牽塔」ともいう。それは祭主が僧や経師(三一教)に導かれてこの塔を回すことで亡魂を供養するからである。塔は塔は七段からなり、これで全世界を象徴している。すなわち、下段の冥府から上段の極楽まで、その間のさまざまな世界が神仏の図像で表現されている。基底には血盆がある。そして、塔の表面には閻羅王や目連、あるいは観音や媽祖、臨水夫人など、中国の民間に登場するさまざまな神仏がえがかれている。故人はこれらの神仏に看取られて上の世界に赴くことになる。

 三一教の転蔵(塔懺) 
 これは2001年9月1日、莆田市仙游県大済鎮鐘峰村仙源祠で三一教の儀礼としておこなわれた。儀礼は「開眼請聖」「破獄科儀」「転蔵」の順に進行した。仙游での塔懺の儀礼は、塔が三つあったために5時間にも及んだ。
経師(中心者を主壇という)は錫杖と幡を携える。目連を模した者で、全体の行為は目連による打城を意味している。

 主壇による破獄科儀と転蔵(塔懺)
 主壇は塔のもとに近づき、地に「破」の字をえがく。この時、「血盆化作蓮華水、苦界翻作極楽天」と黙念する。
 次に塔の最下層に設けられた血湖地獄の門を通して錫杖を差し込む。そして、血盆のなかに沈む女人の霊魂*1(替身<テイシェン>)を救済する。
 主壇は打城の確認のために、砂甕を錫杖で割る。
 次に、魂の沐浴、更衣の儀を経て、亡魂に烏飯(ウファン。悪鬼に盗られないように黒くした飯)を食べさせる。
 このあと、祭儀の依頼者(遺族)は牽塔をする。そして主壇は塔の下に置かれた燭盞を打ち壊す。以上の一連の儀を超度すべき霊魂の数だけくり返して破獄を終える。

 注 *1 これは前生の妻の霊魂である。この時の救済対象は少し事情が入り組んでいた。すなわち依頼者は中年の女性であったが、夫の病が長びいて回復しない。それはどうも前生の妻との因縁が断ち切れていないからのようだということが童乩(タンキー)の口から告げられた。それで、その女性のために転蔵(牽塔)の儀を催したのである。

 映像

映像1 破獄科儀。

 

映像2  祭主による転蔵。そして三人の経師による『胎骨経』の読誦。この内容は血盆経を反映させている。

 小考
 中国沿海部では宋代以来、目連を主人公とした女性救済が目連戯としておこなわれた。とくに三殿超度は女性の祭主を引きつけるために設けられたかの感がある。そして、上掲の転蔵はそこから派生したひとつの済度儀礼だといえよう。この根柢には馬建華が示唆しているように、血盆経の流布があるとおもわれる*2
ところで、日本でも中国にならって血盆経が説かれた。日本のばあいは目連戯における三殿超度や転蔵のような儀礼はみられなかった。しかし、よく知られているように熊野比丘尼がこれを絵解きした。山東京伝『骨董集』(1814年)によると、さすがにその頃になると、かつての絵解きの比丘尼はみられなくなった。しかし、延宝(1673-1681)、貞享(1684-1688)のころまでは2月、彼岸に民間で熊野比丘尼が地獄極楽の絵解きをしていたようである*3

 中国でも日本でも血盆経は民間信仰としては近代まで存続した。かたちは違うが、祭は祀芸能を伴いつつ、霊魂救済のひとつの装置として機能してきた。転蔵による超度儀礼は台湾では、今もみられる。2009年8月、高雄県甲仙郷小林村(シャオリンツン)は土石流に呑み込まれ、全村がほぼ壊滅した。犠牲者は600名ほどという。この直後、高雄県の各所では犠牲者を追悼する転蔵がおこなわれた。

 *2 野村伸一『東シナ海祭祀芸能史論序説』、風響社、2009年、274頁。
 *3 林雅彦「熊野比丘尼と弘通活動」『日本の美術 山岳信仰の美術 熊野』第465号、至文堂、2005年、92頁以下参照。

高雄県甲仙での転蔵1

高雄県甲仙での転蔵1

高雄県甲仙での転蔵2

高雄県甲仙での転蔵2

高雄県甲仙での転蔵3

高雄県甲仙での転蔵3

 

 参考文献 
 野村伸一編著『東アジアの祭祀伝承と女性救済』、風響社、2007年の第一部概説篇事例5(248頁以下)および図版。
 また、上記の転蔵については、馬建華『莆仙戯与宋元南戯、明清伝奇』福建芸術叢書、中国戯劇出版社、2005年に詳しい。さらに鎌田茂雄「東南アジアの仏教儀礼(五)」『大法輪』7月号、大法輪閣、1980年、田仲一成『中国の宗族と演劇』、東京大学出版会、1985年にも記述がある。