白字戯『秦香蓮』下集(2008年の映像)


映像 2008年旧暦1月9日(2月15日)広東省汕尾
   白字戯『秦香蓮』下集より

xianglian

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映像1. 息子の陳春哥は成長し、国のために出征する。秦香蓮はむすめと二人、出征した春哥の身を案じる。(3分20秒)

 

映像2 .秦香蓮と春哥は、偶然訪れた廟で邂逅する。しかし、春哥と公主との結婚を知るや、驚き、詰る。(2分53秒)

   南戯の詳細および白字戯については東シナ海文化の現場-2008年汕尾、海陸豊劇による旧正月 参照。
   また、下記『司馬賢登基』より映像 も参照。

 梗概
 『秦香蓮』下集。上集に相当する物語は未見ではあるが、一般的にはこうである。秦香蓮は片田舎で夫陳世美と暮らしていた。子供は一男一女であった。ところが、夫は科挙に応試し、合格するや戻ってこなかった。陳世美は都で公主の婿(駙馬)となり、むすめを設けて暮らしていたのである。秦香蓮は二人の子を連れて上京し、夫に会うが、妻であることを否認される。
 そればかりか、陳世美は韓琪を遣わして、邪魔者である妻と子を殺させようとする。ところが、韓琪は無辜の母子を殺すことができず、逃がし、自身は自殺してしまう。秦香蓮は田舎に戻って女手ひとつで二人の子を育てる。
 以上が上集に当たる故事である。これを受けて、この晩の下集がはじまる。あれから18年が経った。息子の陳春哥は成長し、国のために出征する。陳春哥は武芸に通じていた。そして、戦地で功を立て、何と、宋朝の武将となり、さらにその武功が帝に認められ、公主との結婚を勧められる。ところが、故郷を出るとき、陳春哥は母から、官辺での栄達をはかってはいけないと言い聞かされていた。そのため、苦悩し、宮廷を去る。
 そして訪れた廟で偶然、母に出会う。母は音沙汰のない春哥の身を案じて廟詣でにきていた。そこで、秦香蓮はかつての恩人韓琪の妻に会った。そして、その場に春哥がやってきたのである。そこには、さらに夫を追いかけて公主もやってくる。秦香蓮は息子が公主と結婚することになったのを知るや、驚く。そして、春哥が母との約束を守らなかったといって厳しく叱る。事態がもつれてくる。そこへ包公がやってくる。包公は秦香蓮の訴えを聞く。
 そののち、包公の立ち会いのもと、秦香蓮は公主の母、つまりかつて夫陳世美を奪った女性と対面する。ふたりは当然、相手を快くおもわず、顔をそむける。このとき、包公が仲裁にはいる。包公は国家の大義を説き、私怨を越えて和解することを勧める。この説得を聞いて、はじめに折れたのは公主のほうであった(図版46)。公主が秦香蓮の前に額ずくと、秦香蓮も駆け寄って助け起こす。こののち、陳春哥と公主は晴れて結ばれることになった。

 白字戯
(バイズシ) 
 明代初期あるいはそれ以前に福建南部からはいってきたものと在地のことば、芸能とが融合して形成されたものである。
 曲調は「曲牌聯綴体」が基本で、民歌を混ぜる。歌のあいだにアイアイということばを多用するので白字戯は俗称「啊咿噯(アイアイ)」とよばれる(『司馬賢登基』より映像)。ちなみに、この俗称はまったく言い得て妙である。日本人など外部の者にとって、方言はわからなくても、心情を表現する主要な場面でくり返される「アイアイアイ アイアイアー」のことばはとくに印象的で、訴えるものがある。極端な言い方をすると、劇の筋立てそのものはたいして頭に残らないが、このアイアイアーだけは何日たっても忘れられない。それほど強い響きを持っている。
 白字戯は清代中期、乾隆嘉慶年間に、正字戯から武戯を吸収した。そして、上半夜(宵の口から零時まで)にこれを演じ、後半夜(零時から夜明けまで)に方言による白字戯(文戯)を演じるようになったという。これを人びとは「半夜反」とよんだ。
 もっとも、今日、汕尾では正月の白字戯の演戯は遅くとも午前零前には終了しているので、かつての半夜反はみられない。白字戯による文戯の演目は、呂匹氏によると、1992年ごろには200余りあったとのことである。
 白字戯は潮州にもある。潮州人は海陸豊のものを「潮州白字」と区別して、「南下白字」とよんでいる(以上『海陸豊戯見聞』、13頁参照)。

参照: 巾幗英雄―戦う女性(2008年の映像・撮要)