東シナ海文化の現場-2008年汕尾、海陸豊劇による旧正月


はじめに

  東シナ海は今日、政治、経済上のみならず、東アジアの文化を考える上でひじょうに重要である。中国経済の中心地は沿海部にある。当然、海洋文化に対しても関心を高めて各種の学術会議を支援しようとしている。日本の沖縄は地理、歴史、民俗文化の上から東アジア文化交流の結節点となるにふさわしいものを持っている。韓国は今日、中国との経済交流を深めるにつれ、西海岸、とくに南部の海域と中国との交流史の見直しが盛んである。
 しかし、歴史的にみて、東シナ海はどこかひとつの国家のものであったことはない。そこには国家の枠からはみ出した人びとも数多く住み、独特の文化をはぐくんできた。そのため、それぞれの国家の文化史に基づいた視点でこの地域の文化を把握しようとしても、全体をつかむことは容易ではない。東シナ海周辺にみられる文化はそもそも政治史の時代区分で簡単に説明できないものが多い。
 それでは東シナ海およびその周辺地域には一体、どのような文化が散在しているのか。そして、それらを互いにどう位置づけたらよいのか。これがわたしの課題である。

 課題設定の理由  どうしてこのような課題を設定したのか。その具体的な理由は次のようなところにある。わたしは、韓国全羅南道島嶼部および済州島の巫俗文化、また沖縄の海神祭や豊年祈願の祭祀、そして台湾や福建省の観音信仰および天后、瘟神の祭祀などをみて歩いた。そして、それぞれの祭祀や儀礼に伴う表現行為を観察した。第一義的にはそれらは今日なお生彩があり、人を引きつける。それだけでも十分かもしれない。
 ところで、それらのあいだに、何か共通する点はあるのかと問われると、なかなか簡単にはいえない。とりあえずいえることは「どこでも真に祭祀や芸能を支えてきたのは女性たちだ。これは女性文化のひとつとしてみるべきでないか」ということくらいである。
 もちろん、これではあまりに漠然としている。しかし、そうとしかいえない面もある。これはなぜなのか。個々には共通点がたくさんあるが、総体として各地の文化は個別化されていて、そうたやすく互いの関連づけができない。しかし、そういってしまうと、従来の枠組と変わるところはない。各地の詳細な研究が必ずしも横に結びつかないこと、つまり分断されているのは、おそらく東シナ海をめぐる文化の歴史が十分に論じられてこなかったことと関係しているだろう。基層には埋もれた文化史、分断された民俗世界があるはずで、それを探求しなければならない。
 以上が課題設定の理由である。もちろん、この海域の周辺にみられる個々の文化現象をつなぎ合わせるためにはまだ材料が不足している。しばらくは、現在、確認できるものをできるだけ丹念に提示しなければならない。こう考えた。
 
 1 2008年、海陸豊劇による旧正月

 広東省東部汕尾市  2008年2月3日(旧暦12月27日)から24日(旧暦1月18日)の朝まで22日間、広東省東部の汕尾市城区に滞在した。汕尾市は20年前(1988年)に海豊県、陸豊県、汕尾鎮(かつては海豊県に所属)が合併してできた。そのため行政的には広域だが、汕尾市城区の中心部は小さな港町である(ここで城区というばあい、城区所属の周辺の四つの鎮は除く)。汕尾は省都広州と福建省寄りの都市潮州の中間に位置する。ここの人びとは、歴史的には閩南(福建南部)からの移民とされている。その南側は南シナ海で東南アジア、西アジア、さらにヨーロッパへとつながっていく。実際、それらの地域に移民した同胞は数多く、そのため、商業、貿易に通じた人びとが多い。
 汕尾は広東省東部の「福佬風俗文化群落」の西端に位置する。福佬とは福建系の方言を話す人びとのことである。「福佬民系」は福建系の移民が在地の人びと(閩越族)や中原由来の人びとと融合してできたという(葉春生、施愛東主編『広東民俗大典』)。
 なるほど、汕尾の人びとは、福建省の人びとと同じく、節日の祭祀活動にたいへん熱心である。以下は祭祀と芸能を図版と簡単な説明で述べたものである。はじめに、今回、現地で参観した祭祀芸能の一覧を提示し、次に日誌に基づいてその内容を記していく。

 主な祭祀と参観した演目一覧

1月1日   獅子舞
1月4日  落馬戯:正字戯『紀銮英生子』、『楊文広招親』
1月5日  正字戯『蟠桃赴会』、『六国封相』、『会李后』
1月6日  正字戯『八宝招親到五虎平西』
1月7日  正字戯『五虎平西』
1月8日  神誕戯:白字戯『嫦娥情』、『司馬賢登基』
1月9日  白字戯『蟠桃赴会』、『秦香蓮』
       開灯戯:正字戯『双招駙馬』
1月10日  白字戯『柳文進中元』、『劉咬臍出世』
1月12日  正字戯『双拝堂』、白字戯『鍾玉珠告状』
1月13日  西秦戯『狸猫換太子』
1月15日  媽祖廟の開灯。花公花婆の移御と採花枝の民俗
1月16日  漁村婦人たちの宋大峰廟詣で。白字戯『三巧奇縁』

 わたしの参観した奉納芸能は獅子舞を除くと19である。この数はおそらく全体の4分の1にも達しないであろう。あらかじめいうと、短い期間にこれだけ多数の奉納演劇をする地域は今日、珍しいのではないかとおもわれる。とにかく、同じ日にあちこちの廟で同時に演劇が奉納される。れゆえ、この全体を、一人でみわたすことは不可能である。数だけいえばそれくらい多い。
 なお、汕尾では、正月以外にも、各廟の主神の誕生日、あるいは中元節などに劇団を招いている。そこで、たとえば鳳山媽祖では年に60日ほど、演劇が上演されるという(周玉蓉「民間信仰与地域群体関係-汕尾疍民信仰研究」、中山大学博士論文2004年)。こうしたことは、資力、地域住民の愛護ということもだいじな要素としてあげられるが、何よりも祭祀が生きていてこそ可能なのだといえる。このことについては、まとめのところでもう一度、述べることにする。
 なお以下の日付は旧暦である。

 日誌
 
 12月30日(新暦2月6日)

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 (※写真はすべて拡大できます。)

 どの家も正月を迎える準備で忙しい。各家庭では門前に紅い布や春聯を張り、供物を置く(図版1)。港に泊めた船上では「船頭公」に供物を捧げて拝礼をしている。これは新年を迎える前にやればよいらしく、前日にもみられた(図版2)(図版3)。浙江省舟山列島などとは異なり、ここの船にはフナダマ(船霊魂)がない。船頭公はその代わりのものといえるだろう。文字通り船の先頭にいる船のカミであるが、神霊を象ったものはない。
 また、この地の船には媽祖と玄天上帝をまつるものが多い。たいていのばあい、とくに神像はなく、供物を置くだけであるが、この両神への崇敬の念は今日なおたいへん篤い。
 この日の夜、各廟では新年を迎える儀礼をおこなう。安美媽祖廟では午後10時半過ぎに大量の爆竹を鳴らし(図版4)、太鼓が敲かれた。そして一旦、正面の門を閉ざす。廟内では理事会ほか百名ほどの信徒たちが祈念をする。
 やがて11時近くになってから、開門した。すると外で待機していた近隣の人びとが線香を持ってやってきて、年始の拝礼をする。
 ただし、後述するように、年末年始、つまり12月24日から正月5日まで媽祖を含めた神がみは天上にいっていて不在である。廟によっては垂れ幕により神像を完全にみえなくしてしまうところもあるが、安美媽祖のばあいは神像の前にレース状のものが下がっているだけなので、外からみられる(図版5)。
なお、この日の晩、子供たちが獅子舞をして商店街を回って小遣いをもらっていた(図版6)。こうした小集団があちこちで作られるのも興味深い。ただし、本格的な獅子舞は翌日からである。

 1月1日

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 この日、漁村の人びとは親戚回りをする。まず妻の実家、その兄弟の家からあいさつにいくという。浙江省嵊泗県などでも母方の祖母や母の兄弟の家を優先的に回る(『嵊泗県志』第四章「歳時習俗」、1989年)。こうしたことは女性の家の地位が高かったことを示すものであろう。
 芸能のほうでは、安美媽祖廟(安美祖廟)の獅子舞が出て、周囲の廟を訪問する。二頭一対で四頭の獅子がはたち前後の若者により威勢よく舞わされる(図版7)。太陽神(太陽星君)をまつった太陽宮前の広場では、机や鉄柱を用意して、そこで芸を披露した。鉄柱の上によじ登り獅子の口から「合境平安」の赤い布片を垂らす。これはなかなか見応えがある(図版8)(図版9)。また四頭の獅子のあいだに大頭とよばれる人物が立ち、獅子をあやして走り回るのは注目される。このかたちは朝鮮半島咸鏡南道北青の獅子舞などとも通じる。さらに彼らのあと、少年らによる武芸の披露もある。沖縄県の八重山でみられるような棒芸も演じられる(図版10)。
 この獅子舞の一隊は翌日、翌々日も各地を回る。またこれとは別に、別の獅子舞隊もみられる。なかには、外地の獅子舞もある。汕尾の住民によると、彼らは物乞いにほかならないのだが、正月なので、とやかくいわず、いくらかの報酬を取らせて帰ってもらうのだという。

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