東シナ海文化の現場-2008年汕尾、海陸豊劇による旧正月


 1月6日

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  後寮仏祖廟の3日目の奉納芸能は『八宝招親到五虎平西』である。これは午後、晩、そして翌日の午後、晩、さらに翌々日の午後と計五回、連続して演じられる。このうちわたしは4回までの演戯を観た。
 この物語はやはり宋代の話である。しかも前日の『会李后』にも登場した焦廷貴が忠実な武将として現れる。観る者の胸のうちではどこかでつながっているだろう。物語の前半は宋朝の武将狄青とその部下が外敵西遼の来寇を防ぐために出征するところからはじまる。ところが狄青らは道を間違えて単単国に向かってしまう。単単国の王は珊胡達、この王には八宝という公主がいる。八宝は武芸に通じた女杰である(図版33)。当然、宋の軍勢と戦うことになる。ところが八宝は狄青をみると、好感を抱く。そして、狄青を捕縛し、しかも婿にしようとする。父王珊胡達もこれを許して、二人は結婚する(図版34)。
 午後の演戯はここまでである。そして、その晩と翌日以降の『五虎平西』は狄青と八宝、それに五人の勇猛な武将が協力して西遼を平定する話である。しかも、ここで八宝の活躍は際立つ。たとえば、この日の晩、敵方の最後の大将軍(図版35)を討ち倒すのは八宝である(図版36)。そして、おもしろいことに八宝は出陣の前に双子の子を父王にあずけている(図版37)。これは先に『紀銮英生子』でみたのと同工異曲である。
 出征した武将が敵の女杰と結婚する。この種の物語は地方劇ではよくある。福建省の四平戯では『楊六郎斬子』のなかで、このかたちがみられた。そこでは宋の武将楊宗保が敵の女杰穆桂英により敗戦を強いられ、穆桂英との結婚を余儀なくさせられる。このため斬罪に処されることになるが、処刑の寸前に妻の穆桂英により救済される。
 福建系とされる汕尾の人びとがこの種の話に馴染んでいるのは容易に推測される。主人公の名前は誰でもいい。要するに、観客、とくに女性たちにとって語り物や民間演劇においては、女が主導した婿取り、そして女杰による危機克服という展開がなければならなかったのであろう。
 
 1月7日

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 前日に引きつづいて午後、晩と『五虎平西』を観る。この日の物語は、狄青により殺された西遼王の婿黒利駙馬(図版38)とその妻飛龍公主(前日の八宝と同じ役者)が主役である。ここでおもしろいのは、徹底して女の側から物語られていることである。飛龍公主は亡き夫の仇を取ることを決意する。父に暇乞いをし、旅立つ。その後ろには夫の亡霊がいる(図版39)。
 飛龍公主は宋朝の家臣龎洪に渡りをつける。そして、そのむすめを仮称し狄青の妻になることに成功する。初夜の晩がきた。かねて用意した通り、飛龍公主は短刀を取り出し、狄青の寝込みを襲う。しかし、偶然のことから殺害はうまくいかず、逆に、みずらの喉を掻き切ってあえなく死んでしまう。
 こんな物語である。荒唐といえば、そうもいえる。しかし、ここでは、強者である宋朝の武将の英雄譚や体制側の勝利を伝えるのではない。話の中心は、敗者の側の女性の無念の思い、そしてそれが晴らされるされることもなくさらなる死に至ることである。それを歌い語り、演じる。このことは興味深い。
 この地方の大衆劇では、戦争というものをつねに家庭、夫婦に還元してみていることになる。宋と西遼、宋と単単国など、国名、戦争の理由などはたいした問題ではないようだ。戦争のさなかに、どのようなことが個々の身の上に起きるのか、関心事は一途にその点にある。
 後寮仏祖廟の正字戯は翌8日にもおこなわれた(ただしこれは未見)。都合4日である。そして、そのあと別の劇団による白字戯が6日間おこなわれる。

 1月8日

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 本日は場所を変えて白字戯を参観した。汕尾市城区の漁村では毎年正月9日が「天地父母誕」とされ、重要な祭日となっている。そのため前日(8日)から奉納の芸能がおこなわれる。9日は汕尾だけでなく、潮州などでも「天地父母誕」とよばれる。一般に天地父母とは玉皇のこととされる。実際、同じ汕尾市城区でも、そのように掲示を出す廟がある。
 しかし、この日を玉皇の日とするのはそもそも名前からして無理である。天地父母という呼称の背後には父と母、つまり、男神と女神による天地創造譚があるのだとおもわれる。おそらく女媧と伏羲にさかのぼるものだろう。それが道教の教義によって玉皇の誕生日ということにされてしまったといえるだろう。
 それはともかく、汕尾の漁村では媽祖、玄天上帝だけでなく、水仙爺を拠り所としている。そして、人びとは自前の水仙爺廟を作ろうとしている。ところが、現在は資金は相応にあるようだが、まだ、適当な土地がなく、従って廟もない。そこで、漁民たちは毎年、港の空き地に仮設の祭壇を設け、その前で奉納芸を演じている(図版40)。
 この日の白字戯は午後『嫦娥情』、晩『司馬賢登基』であった。劇団は陸豊市の双噋白字劇団である。
 『嫦娥情』は科挙にでかけた男が、天上の七仙女の末っ子と結ばれる話である。天女の下凡、つまり生まれ変わりの女性が登場する。この話では、そうした背景の女性が男を見初め、追いかけ、最後には結ばれるということをやや滑稽な演戯とともにみせていた(図版41)。積極的に働きかけるのは女性である。物語そのものは特に新味はなかったが、この点が注目された。
 晩の『司馬賢登基』は、主人公司馬賢が苦難の時節を経て即位するまでの話である。この物語は表題からして男の出世を語るもので、それ自体はごく平凡な成功譚である。ただ、このなかで、唯一、眼を見張ったのは、宮廷の陰謀により巷間にさまようことになった司馬賢が物乞いをしつつ歩く場面である。役者(声量のある女性)は思い入れたっぷりに嘆きの歌を歌う。すると、観客のなかから拍手がわき起こり、しかも、あちこちから現金が投じられたのである(図版42)。なかには、わざわざ舞台に歩み寄ってカネを投じる人もいた。
 こうした光景は漁村の人たち特有のもので、ほかの廟ではここまで舞台と一体化する光景はみられなかった。汕尾市城区といっても地区によって祭祀芸能の受容の仕方に違いがあるのがわかる。これにはまた、司馬賢役の女性の演技力がなかなかのものであることも作用していたかもしれない。芝居は、いくつかの要素が重なることによりずいぶんと反応が異なるものである。もっとも、ここ漁村の人たちは紅包(花)の出しどころを心得ていて、役者の巧拙にかかわらず、物乞いのような場面ではいつも施しをするのかもしれない。とにかく喜捨を乞う主人公への反応は素早く、それ自体がひとつの見物であった。

 1月9日

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 正月9日は「天地父母誕」である。そのため、祭祀芸能も午前中からおこなわれる。この日の演目は、『蟠桃赴会』、『嫦娥情』(昨日のつづき、未見)、『秦香蓮』である。
 『蟠桃赴会』は後寮仏祖廟の2日目にみたものとほぼ同じで、玉皇のための祝宴である。『蟠桃赴会』では、一連の演戯の最後に舞台から穀物や飴、銅貨のようなものが蒔かれる。これは仏祖でもみられた。ところで、漁村の人たちはこれをこころから待望しているようであった。少なからぬ人たちが大きな器を携えて待ちかまえている。そして、いざ、それら縁起物が蒔かれると、何と多くの人が舞台に殺到した。また何人かは傘を広げて逆さにし、それで受け取ろうとする(図版43)。舞台から蒔かれるものは吉利(縁起物)とされる。仏祖でも人びとは争って受け取っていたが、それを迎える熱意はここ漁村の人びとのほうがはるかに強かった。
 晩の『秦香蓮』は盛り上がりがあった。これには、よく知られた演目、白話による語り、さらに主人公秦香蓮を演じた役者が情感あふれる演技で観客を引きつけたことなどが理由としてあげられる。
 この日の上演は『秦香蓮』下集であった。上集に相当する物語は未見ではあるが、一般的にはこうである。秦香蓮は片田舎で夫陳世美と暮らしていた。子供は一男一女であった。ところが、夫は科挙に応試し、合格するや戻ってこなかった。陳世美は都で公主の婿(駙馬)となり、むすめを設けて暮らしていたのである。秦香蓮は二人の子を連れて上京し、夫に会うが、妻であることを否認される。
 そればかりか、陳世美は韓琪を遣わして、邪魔者である妻と子を殺させようとする。ところが、韓琪は無辜の母子を殺すことができず、逃がし、自身は自殺してしまう。秦香蓮は田舎に戻って女手ひとつで二人の子を育てる。
 以上が上集に当たる故事である。これを受けて、この晩の下集がはじまる。あれから18年が経った。息子の陳春哥は成長し、国のために出征する。陳春哥は武芸に通じていた。そして、戦地で功を立て、何と、宋朝の武将となり、さらにその武功が帝に認められ、公主との結婚を勧められる。ところが、故郷を出るとき、陳春哥は母から、官辺での栄達をはかってはいけないと言い聞かされていた。そのため、苦悩し、宮廷を去る。
 そして訪れた廟で偶然、母に出会う(図版44)。母は音沙汰のない春哥の身を案じて廟詣でにきていた。そこで、秦香蓮は、かつての恩人韓琪の妻に会った。そして、その場に春哥がやってきたのである。そこには、さらに夫を追いかけて公主もやってくる。秦香蓮は息子が公主と結婚することになったのを知るや、驚く。そして、春哥が母との約束を守らなかったといって厳しく叱る。事態がもつれてくる。そこへ包公がやってくる。包公は秦香蓮の訴えを聞く。
 そののち、包公の立ち会いのもと、秦香蓮は公主の母、つまりかつて夫陳世美を奪った女性と対面する。ふたりは当然、相手を快くおもわず、顔をそむける。このとき、包公が仲裁にはいる(図版45)。包公は国家の大義を説き、私怨を越えて和解することを勧める。この説得を聞いて、はじめに折れたのは公主のほうであった(図版46)。公主が秦香蓮の前に額ずくと、秦香蓮も駆け寄って助け起こす。こののち、陳春哥と公主は晴れて結ばれることになった。
 以上が下集の慷慨である。観客にとっては、秦香蓮の18年の苦節と息子の成長、母子の再会はいうまでもなく待望の場面である。さらに、仇敵にも等しい公主が、はじめに頭を下げるや、秦香蓮も長いわだかまりを洗い流してしまう場面なども、すべて納得がいくのだろう。 これらはもちろん庶民の願望である。現実には公主のような強者はまずは頭を下げることなどはないだろう。しかし、そうではあっても、こうした演劇に馴染んでいる庶民は実際の問題において、秦香蓮の女性としての生き方に共鳴し、これに近い身の処し方を示すことになるとおもわれる。いいかえると、苦節は18年以上であったとしても、私怨を越え、手を取り合う日が必ずくるとする思いである。秦香蓮は、はじめから無条件に優しいのではなく、ひとたびは怒り、いがみ合い、のちに和解する。その結末は歴史のなかでは女性としての賢徳とたたえられてきた。それはまた、寛容のこころといってもよいだろう。いずれにしても、多くの女性はこうした芝居に馴染んで生きてきたのは間違いない。
午後は『嫦娥情』の上演であったが、同じ時間に、安美媽祖廟でも芸能の奉納があった。すなわち、この日から4日間正字戯がおこなわれることになっていた。はじめの演目は『双招駙馬』である。午後はこちらを参観した。
 『双招駙馬』は初四、仏祖廟の『紀銮英生子』の箇所で述べたように、紀銮英の二人の息子が公主と結ばれる話である。昼間の演目は大体が比較的、簡単明瞭な物語が多い。ここでの見せ場は紀銮英が子供らをしっかりとしつけるさま(図版47)である。そして、その甲斐があって、二人の子は勝れた武芸の持ち主となる。最後には、それがもとで、何と息子二人が二人の公主との結婚にいきつく(図版48)。こうした夢のような結末は観客を安心させる。正月ということもあるのか、この紅い布をかぶって新婦が舞台中央に現れる場面はいろいろな演目のなかでみられた。

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