東シナ海文化の現場-2008年汕尾、海陸豊劇による旧正月


 1月10日

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 10日、漁村の舞台では午後『柳文進中元』、晩『劉咬臍出世』が演じられた。
 『柳文進中元』は柳文進という若者が武芸をもとに出世して結婚する話である。あまり特長はなかった。
 一方、晩の演目『劉咬臍出世』は南戯の代表作『白兎記』である。共感できるところが多いのだろう、盛り上がりがあった。物語は李三娘が夫の劉智遠を戦地に送るところからはじまる。夫はふとしたことから人殺しの汚名を着せられそうになる。そのため、故郷を離れ遠征に参加する。残された李三娘は懐胎中にもかかわらず、兄に再嫁を迫られる。断ると、離れに閉じこめられる。昼は水汲み、石臼挽きをさせられる(図版49)。やがて男の子を出産する(図版50)。このとき、兄嫁は助けてもくれず、李三娘は自分の口で臍の緒を咬みきる。この場面で、漁村の女性たちの何人かが立ち上がって拍手し、何か叫ぶ。兄嫁の非道さを詰ると同時に、三娘への激励なのだろう(図版51)。
 やがて男の子は叔父に救われ、父親のもとへ送られる。子の名前は出生のいきさつから咬臍とされる。李三娘は父と息子をおもいつつ16年の歳月を送っている。そこへ兎狩りをする若者たちが兎を追い求めてやってきた。李三娘は劉咬臍の姿をみる。すると、自分の息子の年かさである。そこで、涙ながらに過ぎし日のことどもを語る(図版52)。それを聞いた劉咬臍は同情しつつも、なお真相がわからない。劉三娘は指を咬みきり夫への血書をしたためる。
 劉智遠は劉咬臍の持ち帰った血書を読む。そして、すぐに李三娘のものとわかる。そこで劉智遠は息子とともに李三娘を訪れ、兄夫婦を懲らしめる。同時に、一家の団円がかなう。
 この最後の場面は兄と兄嫁への懲戒がいくらか滑稽に演じられ、南戯の元来の趣とは違う感じがした。一体にこの地方の白字戯は軽快な舞や歌で劇を進展させる面が強い。また、母子の離別や再会の箇所ではかなり大仰にこれを演技する。それは、かなり、あくの強い大衆芝居である。こうした演出方法なので、『白兎記』のような物語はややもすると、すべてが嘆きと感激でおおわれてしまう。それゆえ、雰囲気を変えるためにも懲らしめの場面などが必要なのかもしれない。いずれにしても漁村の人びとは、この最後の場面を愉快そうにみていた。感傷的な場面で終わるよりは、気性に合っているかのようである。

 1月11日

 昼は城区馬宮鎮媽祖廟にいってみる。しかし、奉納演劇は昨晩だけで本日はなかった。一方、漁村の舞台では晩に『崔文英中元至崔武英下山』が演じられる。しかし、この日は、体調不良により、冒頭の1時間ほどで切り上げた。説明は省略する。

 1月12日

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 午後、安美媽祖廟の舞台で正字戯『双拝堂』をみる。ところが、ちょうど同じときに、すぐ脇で、ある家の喪礼がおこなわれていた。楽士がきていて、にぎやかに葬儀の音楽を奏でる。このため、舞台に集中できず、物語の内容が把握できなかった。説明省略。
 晩は後寮仏祖廟で白字戯『鍾玉珠告状』をみる。これは鍾玉珠という女性が、無実の夫の罪を晴らすために奔走する話である。はじめに寡婦桃氏が登場する。夫は廬雄という悪人に殺され、しかも廬雄は役人を抱き込んで、桃氏の息子を下手人とし、牢に閉じこめてしまう。そこへ嫁の鍾玉珠が現れる。玉珠は姑とともに牢獄にいき、夫に面会する。夫は改嫁を促すが、玉珠はきかない(図版53)。
 この辺りのやりとりは歌も科白もずいぶんと長く、演出としては冗長である。しかし、人びとはときに拍手し、見入っている。白字戯とはこういうものなのかもしれない。玉珠と母は街に出る。そして、銀子さえあれば、夫の罪が購えることを訴える。行きずりの、ある男がこれに同情してくれる。
 玉珠は裁判に訴える。ところが、結果はさんざんなもので、かえって玉珠は打ちのめされる(図版54)。しかし、玉珠はあきらめない。そして、再度、別の判官に訴える。すると、今度は訴えが通る。そうして獄中の夫は公正な裁きを受けることができ、罪が解かれる。
 二度目の訴えで簡単に解決してしまうところはあっけなかったが、人びとにとっては、そこに至る過程を歌と自分たちのことばで堪能すればよいのだろう。これは要するに、意志の強い、健気な嫁の物語である。

 1月13日

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 汕尾市海豊県峰山村で西秦戯をみる。これは陳氏一族の祠堂の前に仮設の舞台を設けて4日間演じるものであった。この日が初日である。前述したように西秦戯の上演はかなり限られていて城区ではひとつもなかった。劇団は「海豊県西秦戯劇団」である。これは政府の認定を受けた汕尾市唯一の専門劇団である。
 峰山村では毎年7月29日の地蔵の誕生日に奉納の芸能をおこなうが、正月は毎年やるわけではない。また、西秦戯は今回がはじめてだという。そもそも、この年の芸能は、前年に村で道普請をしたことから、のちのち、いい結果が得られることを願う意味で催したのだという。
 ただ、この時期を選んだのは子供の生育祈願のときともかかわるようである。すなわち祠堂には前年に生まれた男の子のための灯(公灯)が飾られてあった(図版55)。それは各家庭で用意して祠堂の天上から吊り下げたものである。この地方では大体、正月の13日が子供の生育を祈る日とされている。
 本日の西秦戯は午後3時ごろ、舞台浄め(出煞)があった(図版56)が、芝居の上演は晩の一回だけであった。ただし翌日以降は午後と晩の二回あると聞いた。
晩の演目は『狸猫換太子』である。7時過ぎから深夜12時過ぎまで5時間かけて、包公と盲目の李后が手を取り合うところまでが演じられた。内容は前述したもの(1月5日の項参照)とほとんど同じである。ただし、ここでは若い李后が太子を出産するところも演じる。そして、太子と猫の亡骸とのすり替えや、李后の殺害未遂の場面、流浪するさまなどがかなり現代的な照明、舞台効果とともに演じられる。また、李后だけでなく、侍女の冠珠が気丈な女性として生彩を放つ。この点は注目される。
 冠珠は赤児の太子を捨てるように命じられたが、陳淋と謀って、駕篭の中身をすり替える(図版57)。そして、太子を別のところで成長させた。のちに、これを怪しんだ劉氏と家臣郭槐は陳淋をよびつけ、拷問により冠珠の口を割らせようとする。この場面で冠珠は無言を通す。そのたびに陳淋に激しく棒で打たれる。そうして郭槐が「お前の仲間は誰なのだ」と再三問いつめるが、冠珠はむしろ郭槐を指さして、郭槐こそが謀略の主だということを示す(図版58)。冠珠は執拗な拷問に対して一歩も引き下がらない(図版59)。
 この辺りの演出は観客には納得できるものであろう。わたしには朝鮮近世のパンソリ『春香歌』の女主人公、とくにその「十杖歌」をみるかのようであった。こうした脚色の根柢には語り物があるのだろう。
 今日の西秦戯は音楽も多彩で、おもしろかった。不人気で劇団がふたつしかないというのが信じがたいほどである。こうしたものであれば、ことばの壁は字幕により解決できるのだから、もっと多くの人にみられてもよいと感じた。ただし、伝統の維持という点で多少、気がかりなこともある。それは専門の劇団がひとつしかなく、かつてのものをどのように維持しているのか、ほかの演出があるのかなど、知りようがない点である。今回みた限りの印象では、使用することばはともかく、役者の動き、筋立ての脚色などはかなり現代的な要素が加味されているとおもわれた。団長の呂維平氏(1967年生まれ)をはじめ、役者はいずれも比較的若い人たちであった。

 1月14日

 昨晩の西秦戯参観のあおりで、本日は体調がよくなく、宿所で休養した。

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