波照間島のムシャーマ-2005年、ホトケをかけての豊年祭


1.ムシャーマ

 ソーリン(精霊祭)のなかのムシャーマ  八重山の旧7月はソーリン(精霊<孤魂、祖霊>祭)で特徴付けられる。行事として名高いムシャーマはソーリンの一部である。ただし、波照間島のばあいは、旧6月のプーリン(豊年感謝祭)の一部エンヌユーニゲー(くる年の豊作祈願)がこのソーリンのなかに移されて、その演戯がともにおこなわれる。そのためにはなやかなものとなった。
 ソーリンは7月7日のナンガーソーリン(ムシャーマの準備開始)、12日のシラスピン(予行)、13日のシキルピン(迎え日)、14日のムシャーマ(ユーニゲー、世願い)、15日のウグリピン(送り日)、16日のイタシキバラ(ムラザーレ<村浚い>を含む)とつづく。
 以下では、2005年8月16日(旧7月12日)から22日(7月18日)までの一週間の滞在日誌から、ムシャーマの行事に関連することを中心に摘記した。ムシャーマは旧7月12日から7月16日までの5日間おこなわれた。

 8月16日(旧7月12日)

  午後4時半のフェリーで到着。民宿に荷物を置いて、公民館(オーシャー)にいき、行事日程表をもらう。今年の行事のうち、7月15日夜のアンガマは中止と聞く。公民館長の交替があり、それが原因とのことである。残念だが、すでにそう決めているので再考の余地はないという。
 シラスピン  夜、8時過ぎから島内の各組で予行演習がある。名石部落の会館で西組の予行演習をみる。観光客も交えて150人くらいの人が集まる。はじめに私服で村会館の周囲を一巡りする。そのあと会館の庭や屋内でも演じる。暑さのなか、なかなか熱のこもった予行演習である。行列では少年の捧げたミルクヌナーリ(弥勒の実り、五穀豊穣の象徴)が目に付く。また弥勒役は部落に貢献した人から選ばれる。これは10時半頃までつづく。
 なお、この日、各家では明日午後の祖霊迎えの準備をする。

 8月17日(旧7月13日)

 祖霊の迎え入れ  各家で祖霊を迎え入れる日(シキルピン)である。午後の早い時間に墓場にいき、祈る。そして、家に迎えてきて、以後、15日の夜まで賓客としてだいじにもてなす。主婦は、仏壇に気を配り、蝋燭の灯りと線香を絶やさないようにする。新仏のある家では白い花、そうでなければ赤い花が飾られる。供物としてはバナナ、クロキの実、シーグァーサ、野葡萄のほか、サトウキビがある。サトウキビは2本あり、ひとつは祖先のための杖、ひとつは担い棒だという。
 各家では夜遅くまで、親戚や友人がやってきて語り合う。どの家も外に向けて開放している感じで、島中がさながら宴席である。そもそも閉め切ったのでは蒸し暑くていたたまれなくなる。以前は、開放しなければ暮らしていけなかっただろう。とはいえ、現在は空調設備が整い、閉め切った新築の家も時折みうけられる。これもまた現況だろう。
 7月13日の光景  なお、沖縄では、どこでも正月16日に墓参りをする。これは波照間でも同じである。ただし、正月のばあいは墓前で祈るだけで、家に迎えることはしない。また、この日(13日)、テレビのニュースをみると、沖縄本島でも市場にはやはり大勢の人が集まっている。ウムケー(お迎え)の準備の買い物をする人たちである。それは、秋の秋夕(チュソク)の準備でにぎわう韓国の市場の光景に似ている。また、東京の下町でも、1950年代頃までは、各家で仏壇に祖霊のために特別な花飾りを設けていた。こうした祖霊迎えの賑わいの光景はかつては東アジアに通有のものとしてあったのだろう。
 
8月18日(旧7月14日)

 ユーニゲー  この日、公民館の前の広場とすぐわきの舞台で芸能が演じられる。準備は午前8時頃から役員らにより進められる。
 9時少し前に、富嘉(フカ)部落のパナヌファ(司の代理)がきて、公民館長ら役員の前に座る。ムシャーマの開始を告げることばをやりとりする。飲福の酒を酌み交わして、9時15分から、行列がはじまる。はじめにやってくるのは東組、次いで前部落、西組の順である。この順番は毎年変わる。
 男女の弥勒  行列を率いるのは弥勒である。弥勒は弥勒菩薩から名前を借りているが、実は「五穀豊穣と幸福」をもたらす来訪神である。ただ、波照間の弥勒は女性とされている。東組では、これにさらに話が加わり、ブーブーザという亭主役がいて、これは弥勒に離縁されたともいわれる。行列の調整役でもあり、また珍妙な仕種で観る者を笑わせる*2。なお、波照間生まれで島の行政その他に貢献した仲本信幸の聞書によると、東組の弥勒は女性、西組は男性となっている*3。いずれにしても、弥勒に女神の性格があることは注目される。これは、根源には来訪する女神が豊饒をもたらすということがあり、弥勒の仮面とその話はあとから付加されたということを示唆している。

  *2 ムシャーマ編集委員会『波照間島のムシャーマ』、波照間民俗芸能保存会、1982年、72頁。
  *3 本田昭正編『波照間島の歴史・伝説考-仲本信幸遺稿集』、非売品、2004年、51頁。同書によると、波照間の弥勒面 は江戸末期に石垣島登野城の人が波照間にきた記念に彫ったものとされている。

 西組の行列演目  この年の西組の行列演目は次のとおりである。各組により、また年ごとに多少の違いがある。

 1.大旗(ブーパタ) 2.幟 3.ミルクヌナーリ 4.ミルク 5.五穀の籠(カンゴマー) 6.弥勒の子供(ミルクンタマー) 7.弥勒節(ミルクブシィ) 8.かりゆし節 9.豆(マミ)どうま節 10.稲摺節(イニスリブシ) 11.天川節(アマカーブシ) 12.崎枝節(サキエダブシ) 13.六調節(ルクチョウブシ) 14.棒(ボー) 15.太鼓(テーク) 16.獅子と獅子囃子

 さらに、これらのほか、魚釣り(かつお釣りの物真似)、フサマラー(雨乞いをする者たち)、南洋の土人踊り(物真似)、その他の飛び入りがある。また東組にはブーブザが付き添い、海ヌチンボーラなど滑稽な踊りもあった。

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