波照間島のムシャーマ-2005年、ホトケをかけての豊年祭


 8月19日(旧7月15日)

 ウグリピン(送り日)  今日は祖霊を送り出す日ウグリピンである。各家庭では親族が集い、最後の膳(ウグリヌシームヌ)を整える。すなわち吸物、ミーシィ(神酒)、ウナマシ(膾)を各祖霊に一対ずつ用意する。一対の意味は「お代わり」だとのこと。おそらくこれは何ごとにも偶数を尊ぶ中国の影響だろう。
 そして夜12時少し前に拝礼(ウヤピトウヌペー、先祖への拝礼)をする。、ウチカビ(打紙銭)を焚く。この紙銭は中国の風習を伝えたもので、あの世で必要なカネということである。このあと、仏壇の供物をすべて下げる。そして、これらを携え線香を灯したまま外にいき、これを捨てる。同時に霊魂の道送りをする。祖霊が無事あの世にもどっていくことを祈念するもので、以前は村の出口までいったというが、現今は自分のイエの近くでやっている。
 アンガマの行事  なお、先述したように、本来はこの晩、役員たちが中心となってアンガマの行事をやる。各家の仏壇の前にいってあの世のことをみてきたようにおもしろおかしく語る。家族の側でもいろいろな質問をするが、アンガマ役の者は当意即妙に返答をし、人びとを笑わせるという。
 石垣島のアンガマなどは今日、観光客にも公開されてやっている。これは、あの世から到来した祖霊たちの象徴なのであろう。

 8月20日(旧7月16日) 

 イタシキバラ  今日は午後、各部落でイタシキバラがある。現在では日中に古老たちが部落の会館に集まり、数日の行事の慰労の会を催している。またこの時、会計報告などもする。集まる人の数は多くはないが、弁当を用意し、車座に座ってニンブチー(念仏歌)を歌っている。また東組の南部落では明るいうちに数人の古老によりムラザーレがおこなわれる。文字通り、村の清掃をおこなう。もっとも、このうちには、精神的な浄化が含まれていて、こちらがより重要である。すなわち、「村の汚れや疫病神、悪霊、餓鬼、無縁仏など」を村から追い払うこと*8がめざされている。

  *8 前引、ムシャーマ編集委員会『波照間島のムシャーマ』、141頁。

 さらに、夕刻の一時、各部落の会館前の広場で獅子舞をする。部落ごとに、またそれぞれの家ごとに改めて厄除け祈願をするということであろう。名石は6時過ぎに終わり、南では7時過ぎに終えた。これが終わると、7月7日のナヌカソーリンから数えて10日間のソーリンムシャーマ行事がすべて終わる。
 
 ホトケをかけての豊年祭  南部落の獅子舞を見学しつつ古老たちに話を聞いた。そのなかで、わたしは、この数日間の行事はどんな性格のものなのかと質問をしてみた。すると、今年88歳になる勝連文雄氏は、ムシャーマとは「ホトケをかけての豊年祭だ」という。もちろん、旧暦6月には「カミをかけての豊年祭」がある。つまり五穀の実り、感謝と予祝はくり返されている。しかし、ホトケをかけるということは、そこに「死の文化」が導入されたということであろう。民間の伝承ではあるが、たくみな表現だとおもう。
 ホトケに関連する文化は歴史的にはあとからはいりこんだものであろう。人の死後の霊魂を供養せずにはこの世の政治、暮らしがたちいかなくなった。そのためにホトケの文化は導入され、盛んになった。それが、何世紀かのあいだには、死が生と混ざり合って認識され、演じられるようになった。
 ここでは明らかに家の祖霊だけでなく、無縁のホトケも手厚くまつられてきた。しかし、その元来の趣旨が今日では、ともすれば忘れられようとしている。

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