波照間島のムシャーマ-2005年、ホトケをかけての豊年祭


2.行事のあとで

 今回のムシャーマ行事に関連していくつか確認したことをまとめておく。
 第一に、旧暦6月上旬のプーリンとアミジワーで粟や稲の収穫感謝と来年の予祝をする。これはもっぱら女性神役の担う行事で、歴史的にはムシャーマに先行するものだろう。
 第二に、そのプーリンやアミジワーも中国の蜡祭の祭祀という脈絡の上で解釈できる。すなわち、はじめの実りを高貴な神に献上する。神に感謝するだけでなく、次の年の農作が順調にいくように雨を祈願する祭祀が付け足される。
  来年の雨果報をばお願いいたします
  雨の水をばお願いいたします
     (前引、アウエハント『HATERUMA-波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』、466頁)
 アミジワーの眼目はきたる年の予祝である。これらを含めて蜡祭の系譜ということがいえる。ちなみに蜡祭では雨乞いはなかったが、うね(坊)や溝の神(水庸)をまつった。
 第三に、波照間の一年の神ごとのサイクルは旧暦8月のシッシン(節祭)からはじまり旧6月のプーリンとアミジワーで終わるとされる。そして神事の何もない時に祖霊祭りがおこなわれる。つまり、祖霊祭りは本土でいう年末、年始のあいだの時期になされる。ここには女性神役はほとんど参与しない。家庭で祖霊を拝礼する時も、中心に坐して祖霊に面するのは家長あるいは長男である。この拝礼は儒教祭祀と同じかたちである。明らかに大陸からもたらされたものであろう。
 第四に、家の行事のばあい、今は祖霊迎えの要素が強い。この点だけみると、本土の盆行事と大差はなく、特徴もないようにみえる。しかし、以前は、仏壇に食事を上げる前に庭先で無縁仏に「水の香」を少しあげたという。これが重要な行儀のひとつでもあった。
 第五に、ムシャーマの行列のあと、かつては参加者全員でニンブチャーを踊ったという。これを踏まえると、この行事の性格は「無祀孤魂と祖霊」の招請と送りの祭祀であったことが知られる。大陸や台湾ではこうしたことを普度とよんで今でもおこなっている。
 第六に、波照間島のムシャーマ行事の最大の特徴は、豊作感謝祭に死者霊供養、さらに七月の孤魂供養が結びついていることである。それは表面的には、南島の「年末」がたまたま盂蘭盆の時期と重なったことに由来する。しかし、もとはといえば、年末の豊作感謝祭に死霊供養の要素(儺儀)が含まれていたから、そうしたことが生じたのであろう。
                                          (2010.11.7 補遺)

参考文献
 ムシャーマ編集委員会『波照間島のムシャーマ』、波照間民俗芸能保存会、1982年。
 上野和男「波照間島の祖先祭祀と農耕儀礼」『国立歴史民俗博物館研究報告』第66集、国立歴史民俗博物館、1996年。
 コルネリウス・アウエハント著、中鉢良護訳『HATERUMA-波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』、榕樹書林、2004年。
 本田昭正編『波照間島の歴史・伝説考-仲本信幸遺稿集』、非売品、2004年。

 付記  滞在中は元ツカサの山田しげ、本田ふみさんおよび元公民館長の勝連文雄、浦仲浩氏、また現公民館長の嘉良直氏たちから多くの教示をいただきました。感謝します。
 この小文は、2005年度科学研究費補助(研究課題「東アジア祭祀芸能史論の構築」)による現地研究の一端を公開したものです。(2009年)

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