沖縄のウンジャミ ― 1996年の図録および蜡祭からの小考


 8月30日

 

国頭村の比地、奥間、桃原(とうばる)、鏡地(かがんじ)、浜の集落が合同してウンジャミをする。比地集落のの小玉杜(こだまもい)にアサギがある。以前はウンジャミの前日にウングマイ(籠もり)があったが、今はやらない。

 比地の祭祀  アサギの前が祭場となる。祭祀に用いる鼠がパパイアの実のなかに入れられていて、人目を惹く(図版12)。これとは別に豚の前足のお供えもある(猪の代わり)。
 当日、午後3時過ぎ、諸門中を代表する男性がカミンチュの前にいき、酒肴を捧げて拝礼をする(図版13)。こののち神あそびがおこなわれる。

 クェーナ  3人の神女がクェーナ「タマガーラ買イニ大和旅ニ上ル」(曲玉買いが大和旅に上ゆ)を歌う(図版14)。歌詞の趣意は、まず船造りの過程を歌う。そして難儀をしつつ大和へたどりつき、タマガーラ(曲玉)を手に入れ、やはり難儀をしつつも無事戻ってきたというものである(大部志保「稲魂の送迎と祖先祭祀について-シヌグと海神祭と-」『西南学院大学大学院「文学研究論集」』第二十四号、2005年参照)。
 神女らは衣装を着替えて同じクェーナを二度歌う。

 猪狩りのあそび  このあと、猪狩りのあそびがある。広場に駕篭が置かれる。これを猪に見立てて勢頭神とよばれる男の神役が矢を射る。射立てられた猪は立ち上がって逃げる(図版15)(図版16)。
 このとき神女らは「ハニガラホーエイヤ」という神歌を歌う。歌の趣意は狩人に早く猪を射ろとせき立てる内容のものである。なお、また猪狩りを実行するのは以前は「海の神」役の者であった。射手の主体が変わることは大いにありうる。これについては後述する(小考参照)。

 船漕ぎのあそび  猪狩りにつづいて、船漕ぎのあそびがなされる(図版17)。男性二人が藁縄を持ち合って船のかたちを模す。そのなかに神女がはいり、食べ物を盆に盛って捧げる。男たちは縄を揺すり、船漕ぎをする。これは競漕ではなく、神がみ[ニライの神、その使いの神霊、龍神など]の到来のさまを表現するものだろう。盆の上には米の粉をまぶしたシークァーサが載せられている。そしてこれを周りの見物人に向かって投げる。農作の外敵である猪が追いやられたあとのあそびであるから、ユーとくに農作物の豊饒が予祝されているとみられる。
 なお、神女らは、この船漕ぎに合わせてさらに「クトゥンシウンジャミヤ(今年のウンジャミ)」「ウンジャミニナリバ」という神歌を歌う。

 この年ウンジャミ八月どやびる
 来年(ヤー)のウンジャミ良(ユ)く栄え
    (宮本演彦「沖縄国頭村比地の海神祭」『民間伝承』16-8、1952年)

これらの歌の趣意は、ウンジャミのまつりで、まずは今年の豊作を感謝し、あわせて、きたる年も変わらずに豊饒に恵まれるようにというのであろう。

映像 (2分2秒) 猪狩りと船漕ぎ。


   
 これにより比地のウンジャミは終わり、次の集落奥間へ向かう。

 奥間の祭場  このあと、神女らは奥間へ移動する。ここには以前、ノロドゥンチがあったが、今はなくなりノロの家の庭でかろうじて祭祀をおこなっている。ここでも「タマガーラ買イニ大和旅ニ上ル」(「曲玉買いが大和旅に上ゆ」)を歌う。そのあと、猪狩りはないが、船漕ぎの儀はおこなう。それはやはりこの集落での感謝、新たなる祈願を意味している(図版18)。

 ナガリでの神送り  ノロの家の祭祀が済むと、神女たちは鏡地にいく。ナガリとよばれる浜で持参した鼠を海に流す(図版19)。このとき、きたる年のユーが祈願される。なお、この鼠はヤマシシともよばれていた。そして長い時間をかけて海に流していたという(前引、大部志保、2005年)。ここには集落の災い(,鼠で象徴)をニライに返す意味があるのだろう。ニライからきたものはサチも災いもニライに返す。そして、相変わらぬ豊饒を祈願する。そうしたことが読み取れる。
 なお、近年の伝承では、鼠は猪の代わりとされる。しかし、比地の祭場では、鼠と豚の前足を別のものとして置いている。後者は明らかに猪の代わりである。したがって、パパイアの実のなかに入れた鼠は猪ではなく、鼠そのものとみるべきである。
 猪狩りと鼠流しがウンジャミ祭祀のなかで演じられることの意味は大きい。それは神女らの祈りを補完するものといえる。これはまさに蜡祭の系譜の上にある。
 ところで、鼠を流したあと、浜では、ウンジャミニナリバを歌いつつカチャーシを踊る(図版20)。しかし、神女が四人というのはいかにも数が少ない。当然、このカチャーシはかたちばかりのものであった。残念ながら、これが比地、奥間の今日[1996年現在]のウンジャミの姿である。
 
映像(47秒) 神送り

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