福建泉州地域の寺廟・宗祠調査報告 ―王爺および観音信仰を中心に―


第5日(12月31日)

午前中には南安市詩山鎮を訪問、鳳山寺(写真43)にて調査を行った。小高い山の頂上部分に造られた本廟は広沢尊王(写真44)という民間信仰の神の祖廟である。本廟は広沢尊王が神になった地とされ、その地とされる場所に本殿がつくられている。また、この辺りは鳳凰に似た土地(写真45)で風水が非常によい土地とされ、青龍に鐘、白虎に鼓、朱雀に筆置きに似た山に囲まれている。台湾には400を超える廟に分霊したとされ、2009年7月1-26日に初めて本廟の神像が台湾を訪れ、各地を訪問したという。

43鳳山寺

43鳳山寺

44広沢尊王

44広沢尊王

45鳳凰

45鳳凰

午後南安市霞美鎮四黄村に移動し、①草亭寺 ②康元帥宮・王爺鬆林宮 ③燕山黄氏七房宗祠にて調査を行った。①本寺は2000年4月~2002年3月にかけて実施した慶応大学地域研究センター(慶應大学東アジア研究所の前身)のプロジェクト「危機の共同体 -東シナ海周辺の女神信仰と女性の祭祀活動-」(代表野村伸一)の際にも訪問した寺院である。観音を祀り、明末天啓年間(1621-1627)に創建された。文革期に荒廃するも、改革開放以降華僑と信徒らの努力で再建された。特に2004年に完成した大雄宝殿は3名の香港人による支援で建築されたという。②は十三王爺、三王爺、土地公を祀る廟、③はモンゴル出身の燕山黄氏の祠堂で、答喇真の7番目の子供の子孫を祀っている。

6日(11日) 

最初に、晋江市東石鎮へと行き、①嘉応廟(写真46) → ②龍江寺(写真47) → ③龍江宮(主神、刑王府、写真48,49) → ④鎮江宮(主神、六姓王爺、写真50)を調査した。①嘉応廟(創建年代不明、清代に再建)は九龍三公という一種の王爺を主神として祭祀し、併せて順王爺および南海観音菩薩をも祭祀する廟で、台湾の台北青龍宮、屏東嘉応壇、恒春九龍宮、高雄聖龍宮、鹿港嘉応廟、北港仔嘉応廟、嘉義新搵嘉応廟、嘉義布袋鎮嘉応廟、高雄路竹郷三公宮、高雄前鎮区三公宮、嘉義鹽地仔龍珠宮、彰化詔安里竹安宮、嘉義布袋発展促進会安天宮、嘉義県太保市七星宮慈恩堂など多くの廟はここから分霊してきたものである(写真51)。その為、中台交流のシンボル的存在で台湾からも馬英九総統や連戦元国民党主席、宋楚瑜親民党主席等外省人系の大物政治家も訪問している。この廟は”数宮灯”という旧暦1月15日の元肖節に前年に結婚したカップルが新娘灯を廟に懸けて神に感謝するという習俗(国家級非物質文化遺産2008年6月)で有名で、この活動を通して台湾との交流を盛んに行っているという。また、この廟には一種のタンキーが存在し、タンキーにより改運の儀式が行われているという。

次に、泉州市豊沢区東海鎮へと移動し、東海観音寺(写真52)を調査した。

最後に、我々が宿泊していたホテルのある泉州市鯉城区へと戻り、ホテルから歩いて10分ほどの距離にある元妙観(写真53)という道観の調査を行った。主神は凌霄殿に祭祀されている玉皇大帝であるが、奥の三清殿にはそれよりも高位で道教の最高神に位置する三清(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊)も祭祀されている。また、道観の正門には、王霊官をはじめ四大元帥(趙元帥、岳元帥、温元帥、馬元帥)が祭祀されていたが、この点は他の多くの道観と同様の構造をしているようであった。

46嘉応廟

46嘉応廟

47龍江寺

47龍江寺

48龍江宮

48龍江宮

49王船

49王船

50鎮江宮

50鎮江宮

51分霊

51分霊

52東海観音寺

52東海観音寺

53

53

 

 

 

第7日(1月2日)

 この日は午後から帰国の途に着くことになっていたので、午前は自由行動として各自行きたいところを訪問した。山田は、前日に引き続き泉州市鯉城区にある元妙観へと調査に行った。この日は新暦ではあるものの新年を迎えたばかりであったため、道士たちにより法会が執り行われており、多くの参拝客が参加していた(写真54)。また、元辰殿前では、道士一人により参拝客一人一人に対して順番に恐らくその対象者の本命と関わる改運等の儀式(写真55)が行われてもいた。

54

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55

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参考文献:

・石田浩、中田睦子「中国における同族組織の展開とその実態 : 福建省晋江県の施氏宗族と地縁組織の関係 」(『アジア経済』 30(4)、1989年)、58頁-87頁

・顏芳姿「泉州三邑人的祖佛信仰–與宗族發展有關的地域守護神信仰」(『民俗曲藝』88、1994

年3月)、3頁‐88頁。

・顏芳姿、「鹿港王爺信仰的發展型態」、新竹:清華大學歴史所碩士論文、1994年

・聶莉莉「閩南農村における神々信仰 ―福建省晋江市農村での実地調査に基づいて ―」(『国立民族学博物館研究報告』22、1997年)

 


 [F1]当日の演目は高甲劇だったような気がしますが、記録が残っていません。もしかして、梨園戯でしょうか?

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これまでのコメント

  1. 朝敦 より:

    こんばんは。たまたま検索でヒットし、大変懐かしいものを拝見させていただきました。有難うございます。衙口村に二度もいらっしゃったわけですか。故郷です。自分は来日して17年、一番最近の衙口帰省は。。。三年以上前でした。その時は故居の新築は完成したばっかりで外垣の門はまだできておりませんでした。写真32番忠義殿の後ろに写っているのがそれです、門も完成でしたね。帰りたくなってきましたよ。。。また今度じっくりと拝読させていただきます。それでは、お休みなさい。

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